稲葉家は織田信長家臣・美濃の稲葉一族の末裔といわれ、椛製造で得た富を背景に廻船業を営んだと伝えています。七代、八代からは、付近諸藩の金融を一手に引き受ける豪商でした。母屋は、衆議院議員も務めた十二代目の市郎右衛門英裕が明治十八年から五年の歳月をかけ建設した、切妻造り平人桟瓦葺きの二階建て。最大の見所は、当家の格式と経済力が象徴される土間と居間による一体的な吹き抜けの大空間の構成で、壮観さに圧倒されますにまた、徳島藩主・蜂須賀斉昌公来遊に際し、江戸期に建てられたと伝えられる吟松舎は、数寄屋的な要素を持った書院座敷で、近世の離れ座敷遺構として貴重です。うだつの上がった長屋門、南北二つの宝蔵も国登録文化財になっています。現在は改修工事がなされ、豪商稲葉本家として一般公開しています。名物・ぼたもちとともに、久美浜の新たな観光名所となっています。田辺城の西に位置する愛宕山は、西から宮津街道、東から若狭街道、南から京街道が合流し、北に西舞鶴湾という要所です。そのため、三ヵ所の峰に城郭が構築され、山頂全体が山城として利用されました。愛宕山城は南北朝時代の文書に見られる建部山城の南東に対比し、建部山城の向城ともいわれています。由良川沿いの中山城は一色左京大夫義直の居城といわれています。細川期は沼田勘解由左衛門清中山城跡延(延元)が城主でした。沼田小兵衛の代の時に、関ヶ原合戦に関係する田辺城龍城戦に参加。この城を焼き払い、田辺城に龍城したといいます。宮津城は、大手川河口の東。岸低地に築かれた平城です。別名を「鶴賀城」といい、現在の地名の由来になっています。
[名湯のご紹介]
夕日ヶ浦温泉「坂本屋瑠璃亭」