LVMH帝国がファッションデザインに与えた変革

2011-05-17

ベルナールアルノー率いるこのLVMHグループは単にブランドビジネスの近代化という面だけではなく、ファッションブランドが打ち出す作品の方向性をも大きく変革させていきました。まずは89年7月に開催されたディオールのクチュールコレクションから、主任デザイナーに“ミラノの巨匠”ジャンフランコーフェレを起用。それまで28年間ディオールの主任デザイナーを務めてきたマルクボアンの作風から一転して、ダイナミックかつシャープな構築美を見せるフェレのスタイルが新たな“ディオールエレガンス”として生まれ変わったのです。さらに業界関係者を驚かせたのは96年に発表されたジバンシイの退任劇。作品もさることながら、本人自身も貴族的でエレガントであり続けたユベールード・ジバンシイの後任として発表されたのは気鋭のロンドンボーイ、ジョン・ガリアーノ。この人事は発表直前までジバンシイ本人には伝えられてはいませんでした。ある、アトリエで「この子があなたの後任デザイナーに決まりました」と渡された写真に写っていたのは、ドレッドヘアーのジョンの姿。ムッシューの手から思わず写真が床に落ちていった、という噂も語られたほどジバンシイにとっては衝撃だったに違いありません。そして翌97年1月には、このジョン・ガリアーノが念願であったクリスチャン・ディオールの主任デザイナーに就任し、ジョンの後を受けてアレキサンダー・マックィーンがジバンシイを手がけるというセンセーショナルなデザイナ上父代劇が業界を驚かせたのです。もちろんガリアーノにしても、マックィーンにしても、その時期における業界最注目のデザイナーであり、両者ともに若いながら卓越したテクニックとクリエイションセンスを持ち合わせていたのは確かです。とはいえその作風は従来のクラシックなクチュールエレガンスというスタイルとは軸の違うもの。メディア側には古くからの保守的な顧客には全く違う世界に見えたに違いありません。このあたりから新生ディオール、ジバンシイを中心にオートクチュールそのものの存在意義が、それまでとは大きく変わる時期を迎えることになるのです。また98年3月のプレタポルテコレクションでは、セリーヌにマイケル・コース、ロエベにナルシソーロドリゲスを迎え、さらには満を持してマーク・ジェイコブスのデザインによるルイ・ヴィトンのプレタポルテがデビューを飾るといった具合に、ニューヨークーデザイナー達の波が大挙してパリコレの老舗有名メソンに押し寄せたのです。世界中で最も安定した売り上げを誇るルイ・ヴィイトンが、旅行鞄やバッグといった安定した定番ビジネスから一歩脱却して、季節性の強い、早い話が半年後には在庫となる、水モノ商売のガーメント(衣服)の分野に本格的に進出を果たしたこと。そこには21世紀におけるブランドビジネスの方向性をいち早く示唆したLVMHグループの戦略の一端が感じられる気がするのです。