大学受験という明確な課題

2011-07-15

理論的なことはこのへんまでにして、話を戻そう。アメリカのハイ・スクールの荒廃ぶりは、遂行すべき課題が与えられないことで、ある種の退行が引き起こされているように見える。その点、日本は逆で、高校生の時期に、大学受験という明確な課題が与えられている。少なくとも私の留学当時は目本の高校生はアメリカの同年代にくらべて学力のレベルも高く、精神的にも健全な印象を強くもっていた。アメリカでは、ろくに読み書きや計算もできないまま、社会に放り出されてしまう人も多かったのだ。どちらがいいシステムかと聞かれれば、私は、ためらわずに日本だと答える。人間の発達という観点から見ても、日本の大学受験のシステムは非常にうまく機能している。精神的に不安定な時期だからこそ、外から課題を与えることが必要と考える精神分析家が、最近はふえている。私もその立場を支持する。日本の大学受験制度について、やれ個性的な人材が育たないとか、やれ人間性が失われるなどと批判する人は多い。しかし、大学受験をなくして、たとえばアメリカ型のシステムにしたとき、確実に日本はダメになっていくものと危惧している。